宮沢賢治-----わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、 きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光を のむことができます。 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、 いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしや)や、宝石いりのきものに、 かはつてゐるのをたびたび見ました。 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、 虹(にじ)や月あかりからもらつてきたのです。 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、 十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、 もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。 ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないと いふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、 ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけが よくつきません。 なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、 わたくしにもまた、わけがわからないのです。 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、 おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、 どんなにねがふかわかりません。 大正十二年十二月二十日 宮沢賢治 (『注文の多い料理店』序 「宮沢賢治全集8」ちくま文庫、筑摩書房) ----- ジャンル別一覧
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